バリの夕景 International
Nanda Kanda

articles from Bali, Indonesia.

by Jero Made((FUJIMOTO Nobuyo)

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南国の空
Profile

住所:Bali.Indonesia
家族:JerMade、夫、娘、息子
何年:13年
出身:Tokyo

 もみくちゃになってからバリを眺めてみると、宣伝されているようなバリとはまた違った景色が見えてきます。
そこにはまだ、ウォーター・シューピースなどの画家達が愛し、絵画にしたようなバリ人の生活があり、空気が漂っています。精神世界や宗教行事を特別な事ではなく、ごく当たり前の生活の一部として生きているバリ人が作り出すこの島の独特な世界を少しでもみなさんにご紹介する事ができればと思います。

31.July.2009

家寺の祭り

みなさん、こんにちは。バリ島からジェロマデです。
バリでは、1年を2つに分けたサカという暦をもとに日々の生活や、
お祭りの日取りが決められ、半年毎に同じサイクルでお祭りごとが執り行われます。
ですから、生活の基本はお祭り。
それを抜きでは存在している意味もない、それを欠かしては生きていけない、
それがバリの生活なのです。
お供え各種
 この間、我が家では家寺のお祭りを行いました。家寺とは、バリの家庭には必ずある、
家の中に建っている寺です。家庭によって家寺の祭りの日は違います。きっとこれはその家寺が建てられた日などによって決められているのでしょう。我が家の家寺は、隣に住んでいる義父の兄の家族と共同で使用していて、
半年毎に家寺の祭り当番を交代しています。
今回は我が家の番でした。

 大きなお祭りの前などには、必ず清めの儀式、『ムチャルー』も行われます。この儀式のお供えには普段、使用される花や果物、お米、お菓子などに加え、
鶏などの肉も捧げ物として使用されるので、通常のお供えよりも更に複雑です。
しかも置く場所の方角によって、赤い鶏、黒い鶏、4色の鶏の肉など、
それぞれ色が違います。

 家寺の祭り、というだけで我が家の義母が大騒ぎで、家中がひっくり返るくらい忙しいのに、それに加えて清めの儀式も行うとなればかなりの大事です。
ですから、清めの儀式のお供えは買うことにしました。
我が家の安泰の為にも最善の方法です。豚の丸焼き

 今のバリでは時代の変化なのでしょうか、依然として昔ながらのお祭りを人々は営んでいますが、やはり昔のままにするのは無理なので、
お供えを作るのが得意な人がお供えを作るのが困難な状況にある人に売る、
という形が出来上がっています。
昔は誰もがお供えを作れなければ馬鹿にされたり、
仲間はずれにされたりしていたのでしょうが、
今の時代、お供えは作れなくても他に長けていればそれでも良いのだと、
ようやくバリ人も気が付き始めたのでしょう。
ですから私のように、外国人でお供えを作ることが好きでも、
ある程度の境界線までしか足を踏み入れられない立場の者も、
お供えを買うことができるので、どんな祭事でも執り行う事が可能になったと、
大変おめでたいことなのです。

好物を前に笑顔

 さて、家寺の祭りというのは何をするのかというと、
まず、『ムチャルー』という清めの儀式をお坊さんに来てもらい、
執り行います。その後、家寺の各所にお供えを捧げ、祈ります。
そして、我が家には本家があるので、
その家寺へもお供えを持って行ってお祈りをします。
文章にして書くと、ただそれだけですが、
実際に経験してみると非常に厄介なのです、これが。
それは、私が嫁いだ家の長である義母という人の資質、性格などによって大きく影響されていることは間違いありません。

『バビグリン』という豚の丸焼きと共に、ニッコリ笑顔の義母さん…。
この豚の丸焼きもお供えとして家寺に捧げられました。
私の住むウブドという村ではこの料理が名物で、
王宮近くにある老舗の店はいつも観光客や地元民で賑わっています。
お供えとして捧げられたものは、終わればもちろんありがたく皆で分かち合うので、
豚の丸焼きが大好物の義母は、お金に余裕があれば必ずこれをお供えします。

 面白いのは、お供えにする場合、丸焼けの豚の口にはバナナの葉を丸めて入れ、
お尻には白米を詰め込むこと。写真では義母が丁度、白米をお尻に詰め込んでいます。
とっても嬉しそうに…。
何故そんなことをするのかと尋ねたところ、
「豚は草を食べて、御飯を私たちに提供してくれるからよ」と。
ふゥ〜ん、なるほどというか、何というか…???
バリで、このような疑問に対する回答は、大方このような感じです。
納得できるような、そうでないような…。
 毎回、沢山のお供え物と、沢山のお供えを作る時間と、沢山の捧げる物を買う費用と、
沢山の義母の叱咤の言葉に耐える我慢などが費やされ、
たった1日の家寺の祭りは、いつもあっけなく終わります。
そして、また半年後、同じように大騒ぎで家寺の祭りは巡ってくるのです。


★祭りって生きている人の為にあるんよね〜  (^o^)丿 C.C
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